2009/07/31

「天が許し給う不安より彼方へ」・・・サークとファスビンダーとへインズ


基本的に、メロドラマというのは好きな映画のジャンルではありません。
すれ違いながらも最後には結ばれる「真実の愛のちから」よりも、裏切られて最後には傷つくという「不信感」の方に、強い”確信”を感じてしまうタチなので、メロドラマ的なハッピーエンドというものは許しがたく思ってしまうのです。

1974年につくられたライナー・W・ファスビンダー監督による「不安は魂を食いつくす」は、60代の掃除婦がヒロインの、30代のアラブ系移民労働者とのあり得ないメロドラマなのです。
しかし、年齢差や人種差を克服する美しい恋愛物語を期待すると、あっさりと裏切られます。
淡々と語られるふたりの不釣り合いな恋愛は、周囲の反対によって繋がりが強くなっていくのですが、周辺から認められ始めると次第にその関係は壊れていくのです。
バーの女と浮気した男を、なじり、すがる、60代のおばさんの姿は醜く、観る者の同情を呼ぶものではありません。
しかし、最後には男が病気で倒れることによってお互いの必要性を改めて認め合い、しんみりとしたハッピーエンド(?)を迎えるのです。
メロドラマ的な筋書きを拝借しながら、寄り添い、寄り掛かるふたりの関係を祝福するわけでもなく、冷ややかな視線で描かれていることに強く共感を憶えたのでした。

ファスビンダーの「不安は魂を食いつくす」という映画が、実は・・・1955年につくられたメロドラマの巨匠ダグラス・サーク監督の「天の許し給うものすべて」のリメイクというのを知ってから、改めてオリジナルであるサークのを映画を観る機会を得ました。
あり得ないが・・・ハーレクインロマンス的には王道とも思える「美しき未亡人」と「若くハンサムな庭師」のメロドラマは、基本的に話の流れはファスビンダーの「不安は魂を食いつくす」と似ています。
ヒロインである未亡人は、毅然として周囲の差別やふたりの格差を乗り越えて、最後には若い男を受け入れてハッピーエンドを迎えるのですが、何故かヒロインの悩みや苦しみにそれほど共感出来ない・・・という、メロドラマとしての違和感があるのです。
それは、表面的にハッピーエンドを求める当時の倫理感に対してのサークの反抗心から、ヒロインに観客の同情を与えなかったのかもしれません。
もしかするとファスビンダーは”あり得ない関係”のリアリティを描いて、サークの屈折した思いをリメイクしたかったのでしょうか?

トッド・へインズ監督の「エデンより彼方へ」は、ファスビンダーのリメイクの手法とは違い、ダグラス・サークのメロドラマチックな作風を表面的になぞりながら、現代的なエピソードを盛り込んでいます。
2002年につくられたこの映画は、前出のファスビンダーのリメイク版も意識した、サーク作品全体に対するオマージュになっています。
舞台は典型的な1950年代のアメリカの郊外の幸せな家庭を持つ主婦なのですが、実は旦那は同僚の男性との逢引に耽るゲイであったり、彼女の淋しさを癒してくれる心寄せる男性が聡明な黒人男性であったりと、1950年代のハリウッドでは決して描かれることがなかった物語です。
サーク以上に劇的な照明を駆使しているのにも関わらず、ヒロインのメロドラマチックな陶酔感は感じさず、オリジナルのパロディとしての滑稽ささえ感じさせます。
旦那が去った後も黒人男性とも結ばれることもなく、ラストは主人公の女性はひとり生きていくというのが、メロドラマという型にハマりきれない女性の現実なのでしょうか?
それは、実のところ1950年代も2000年代も、それほど変わりない気がします。

サークとファスビンダーとへインズという、三人の監督にによってつくられた”祖母、伯母、孫娘”のような関連性を持ったメロドラマの中の皮肉に満ちた視線が癖になって・・・ごく普通のメロドラマさえにも斜に構えてしまう自分がいたります。


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2009/07/29

TOKYO MXの「5時に夢中!」に夢中?


デジタル放送に移行するまではTOKYO MX自体の存在さえ知らなかったので、大型の液晶テレビに買い替えてもチャンネル登録さえしていませんでした。

数カ月前、友人Aから「5時に夢中!」の月曜日の「おママ対抗歌合戦」が面白い・・・と聞いて、試しに観てみたところ見事にハマってしまったのでした。


5時に夢中!」は、月曜日から金曜日の午後5時からの1時間の(危険な!)生放送で、まともな仕事をしている人には、まず観れない時間帯であります。

自分は”連ドラ予約録画”をして、毎日欠かさず観るようにしています。

司会は、あの逸見政孝のご長男である”逸見太郎”なのですが、父親の顔に泥を塗るような仕切りの悪い司会っぷり・・・薄っぺらいコメントや自分の性癖の告白など、なんとも寒々しいのです。

36歳という年齢のわりに鉛色の不健康そうな肌をしているのは、メイクのせいか、夜な夜な麻布辺りで夜遊びのせいか・・・?二世タレントの二流な王道をまっしぐらです。


女性ふたりのコメンテーターが日替わりで出演しているのですが、その顔触れが全国ネットでは「ちょっと」という感じの強者揃いで、このメンバーを生放送で出演させていること自体が「5時に夢中!」の一番の見どころでもあります。

中でも月曜日、水曜日、木曜日が自分のお気に入りです。月曜日のマツコ・デラックス(巨漢の女装コラムニスト)と若林史江(株トレーダー)は、逸見太郎の仕切りの悪いフリに常にムカついているようで、スタジオの冷たい空気から感じられます。水曜日の中村うさぎ(コラムニスト)と倉田真由美(だめんず漫画家)は、生放送で言いたい放題で、プライベートを売りにしてきた中村うさぎの暴走が見どころです。

木曜日は岩井志麻子(ホラー作家)と中瀬ゆかり(週刊新潮)で、岩井志麻子の「エロおばはん」っぷりが、本人の書くホラー並の恐怖を感じさせます。

毎回ペニス型のネックレスをしているというのは「何を考えているんだ!」って感じです。

基本的に司会者の逸見太郎は、これらのコメンテーター達から、ダメ出しされっぱなしであることは、説明するまでもありません。


番組の流れのメインとして「夕刊ベスト8」というコーナーが毎日あり、夕刊からピックアップされたその日の話題をコメンテーター達が自由に語るという仕切りなのですが、ベスト8のランク付けが全国ネットでは取り上げないような”エロコラム”などをピックアップするところに、この番組の(良い意味での?)センスの悪さを感じます。

また、黒船特派員という名目で欧米系イケメン風男性アシスタントのコーナーがあるのですが、月曜日の「おママ対抗歌合戦」は、都内の飲み屋のママに半生を語らせてカラオケを競わせるコーナーなのですが、テレビ向きでない見るに耐えれない場末っぷりにヒヤヒヤさせられます。

水曜日の特派員ポールは、女社長に直撃するというコーナーを担当しているのですが、彼のやる気のなさげな冷たい態度は、この番組のアシスタント的な立ち位置に於て、まっとな態度としか思えません。


TOKYO MXの中でも”場末指数”の高い「5時に夢中!」はツッコミどころ満載・・・全国ネットのワイドショーに見飽きた方にオススメしたい番組です!


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2009/07/28

ニューヨークでみた展覧会~Francis Bacon : A centenary Retrospective~

フランシス・ベーコン(Francis Bacon)という画家には、個人的に強い思いがあります。

ベーコンの絵を初めて見たのは、1983に年東京の国立近代美術館で行われた「フランシス・ベーコン展/1952~1982」でした。

その年の9月から始まるアートスクールの授業が始まる前に、夏休み期間中に日本へ里帰りしていました。

当時はベーコンについてはまったく知らなかったのですが、広告の絵に魅かれて足を運んだ記憶があります。


高校時代からアメリカ留学の最初の1,2年というのは、苦悩する青春の日々でした。

苦痛で叫んでいるような表情、肉体を破壊したようなフォルム、空虚に広がっているような不思議な空間・・・それらに自分の心の痛みを感じさせたのかもしれません。

その後しばらくベーコンに取り憑かれてしまい、アートスクールの絵画のクラスでは、グラフティとベーコンをミックスしたような「不快感を与える」絵を描くことに没頭していました。


その後、アートからファッションの世界に入り、ベーコン的な感覚から距離を置くようになっていました。

まとめてベーコンの絵を目の前にするのは、今回の回顧展が四半世紀ぶりということになります。


メトロポリタン美術館の19世紀美術が収められている二階ギャラリーの奥で開催されている「Francis Bacon : A centenary Retrospective」は、制作された年代順に並べられ、ベーコンの足跡はひと目で理解出来るようになっています。

宗教的な磔刑図のシリーズ、ベラスケスの法王からのたくさんの習作、恋人や友人たちのポートレート、洗練された空間と人体のコラージュ。

どの絵のフィギュアも絵を見ている人間とほど等身大なので、その存在感は絵だとは思えないほど生々しさを感じました。


生前のアトリエに残されていた写真や切り抜きの展示は、ベーコンの制作過程を知ることが出来ました。

ポートレートのために撮影された友人たちの写真、数々の災害や犯罪で亡くなった死体の写真、19世紀に撮影された「The Human Figure in Motion/人体の動きをパラパラ漫画のように記録した写真集」など、ベーコンが引用した写真は、面白いほどに絵の中とフィギュアのポーズや表情と一致しているのです。


若い時にはベーコンの描く表面的なグロテスクなイメージに心魅かれていたところがあったのですが、今では当たり前のような”イメージの断片を引用してコラージュ/再構築”するという制作手法にこそ、影響を受けていたことを再確認したのでした。


Francis Bacon : A centenary Retrospective/2009年8月16日まで

Metropolitan Museum of Art、at Special Exhibition Galleries, 2nd Floor

1000 Fifth Avenue(東82丁目あたり)


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2009/07/25

ガンダム涼み・・・ザ・トーキョーの夏!


「お台場のガンダムを見に行ってきました~!」と言って、ブログに書いている人は日本に約10万人ぐらいいるとは思いますが、それでも!!!やっぱり書きます・・・・「ガンダム見てきたよ~」と。


夏休みが始まったとはいえ平日、天気もあまり良くないという、好条件の日を選んだつもりだったのですが、ゆりかもめの「台場」駅からはゾロゾロと人の波が出来ていました。

潮風公園の入り口から海側に抜けてから広場に出ると、そこには実物大(正確には実在しないので”設定大”というべきか!)のガンダムが後ろ向きに立っていました。

味気もない広場には、白い巨像に向って人々が突っ立ているという妙な風景ではありました。


唯一のアトラクション(?)といえる「タッチ&スルー」という、ガンダムの置かれている台に登って、ガンダムの足に触わったり両足の間を通り抜けるために、50人ほどの列に並びました。

列に並んでいる間にも、絶好のシャッターチャンスなので、友人と写真を撮り合って待ち時間を過ごしました。

遠目で見ると意外にも小さく思えていたガンダムも、下から見るとやっぱり巨大で、これが歩き回って戦ったり、空を飛んでありしていたら(勿論、そんなことは現時点では不可能ですが)カッコいいといよりも「怖い!」という感じでありました。


自分自身はガンダムは好きだけど、マニアというほどではありません。

会場には想像していたよりもオタク系のようなマニアの姿はなく、家族連れやカップル、外国人観光客など、地方の遊園地のような雰囲気でした。

いろんな方向から写真を撮影したら、離れて眺めているぐらいしかしようがないので、皆ガンダムに向って立っているぐらいしかすることはありません。

宗教感のない大仏を目の前に圧倒されているという感じもして、昔も今も人間は巨像には信仰心のようなエネルギーを感じるものなのかもしれません。


午後7時からは、会場の照明を落として、イルミネーションとスモークのパフォーマンスが始まりました。

頭を左右に動かしたり、ピカピカとあちこちが光ったり、胸部のスリットからはスモークがモクモクと出てきたりしましたが、指一本動かないで頭以外は微動だにしません。

それでも、神の宿った巨像からのお告げでも聞くかのように、ガンダムを見上げて感嘆の声を思わず自分は出していました。


イルミネーション後に気がつけば、数時間前に降っていた雨のおかげもあって海風は涼しげで、盆踊りの盛り上がりの後のようなリラックスした空気になっていました。

ガンダムを囲んでの「ガンダム涼み」のしているような・・・まさに、東京でしかありえないの夏の夜でした。


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2009/07/23

塊魂シリーズの最新作が出た〜!


40代でゲーム好きというと、ファミコン黎明期からゲーム漬けの”マニア”に思われそうだけど、実はゲーム歴は約8年ほど・・・2001年に日本に帰国してからのことです。

ただ、本来の「コレクター魂」と「大人買い」によって、国内で市販された家庭用ゲーム機のすべて(ぴゅう太やアタリジャガーまでも!)と、メジャーなタイトルからプレミア価格の超レアものまでの、さまざまなジャンルのゲームソフトを購入し、とりあえず一度だけはプレイしてきたのであります。


しかし・・・だからと言って、ゲームが上手かというと、まったくそなんなことはなく、飽きっぽい性格の故に、最初の数分だけ起動してみる”だけ”というのが99%なのであります。

真のゲーム好きから言わせたら「勿体ない」の極みなのですが、数年の歳月とウン百万円(!?)の浪費の結果、自分が本当に好きなタイプのゲームというのが、よぉ~~~~く分かりました。

所有したゲームが数千本にも関わらず、今まででクリアした上に「やり込んだ」と言えるゲームというのは、僅かに3本(シリーズはひとつと数える)ほどしかないのですが、そのうちの1本が今日最新作のプレイステーション3用ゲームソフト「塊魂 TRIBUTE」が発売された「塊魂」シリーズなのであります。


2003年秋に行われた東京ゲームショーで「塊魂」というゲームと出会いました

ゲーム偏差値の低い自分がゲームショー会場のような人の多いところで”お試し台”で遊ぶということは皆無なのですが、何故か「塊魂」だけは人生で唯一人前でお試ししたゲームだったのです。

ひとり一度しかプレイ出来ないのですが、試した人だけに体験版のディスクを貰うことが出来たので、自宅に帰ってから何度も体験版をプレイして、実際にゲームがプレイステーション2で市販される翌年(2004年)の春まで、楽しみに待っていたのでありました。


「塊魂」というゲームを簡単に説明すると・・・塊を転がして大きくするゲームです。

5cmほどの「王子」を左右前後にあやつって「塊」を転がして、家の中や街のモノを巻き込んでいくのです。

最初は「コイン」や「さいころ」などの小さなモノしか巻き込むことが出来ないのですが、いろんなモノ巻き込んでいくと・・・「やかん」や「靴」などのもう少し大きなモノを巻こくことが出来るようになり、それを繰り返していくうちにドンドンと大きなモノまで巻き込むことが出来ようになっていき、「人間」や「「家具」を巻き込み・・・「家」や「自動車」を巻き込み・・・「橋」や「山」を巻き込み・・・「雲」「虹」「大陸」「星」・・・へと、膨大なスケールのモノを巻き込んでいきます。

ゲームとしての基本的なゲームの目的は、時間内に玉のサイズを一定以上の大きさのサイズにするということです。

ゲーム内に巻き込むこと出来るモノ(人や動物も)は、ポリゴンっぽくカクカクしているビジュアルなのでリアルな感じは一切なく、音楽やゲームシステムでも確信犯的に「変な世界観」を売りにしています。


カードやパズル、または一部のシュミレーションゲーム以外では「戦ったり」「殺したり」「殺されたり」というのがゲームの世界では在りがちな事ですが、「塊魂」はアクションゲームでありながら、どこかほのぼのとした世界観のなかで塊を転がすだけという世界が大好きです。

おかげで指には「コントローラータコ」が出来そうですが、せめて・・・ゲームの世界の中だけででも「塵も積もれば山となる」を実践してみようと思います。



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2009/07/20

ようこそHIV+クラブへ、さよならセーフSEX

1981年というのは、後にAIDS(エイズ)と呼ばれる病気の存在が、アメリカで公表された年(HIVウィルス自体は1952年以降存在していたらしい)ということなので、自分がアメリカ生活をしていた約20年間というのは、ある意味エイズの歴史とパラレルだったような気がします。


1982年秋頃には、すでにニューヨークのゲイバーには「ゲイのあいだで広がっている新しい病気に気をつけよう」というような警告の張り紙があった記憶があります。

当時は「Gay Cancer/ゲイの癌」と呼ばれ、どのような病気なのかまったく分かっておらず、何故かゲイの間”だけ”で広がる奇病であり、それにかかると抵抗力がなくなりやせ細って死んでいく・・・という”都市伝説”のようなところがありました。


その後、HIVウィルスによるAIDS(エイズ)という病気が性交渉によっても感染することが判明し「セーフSEX」が感染の広がりを食い止める最も効果的な方法であることが、世界的に認識されていきました。

ただ、ニューヨークはアメリカで最も早く爆発的に感染が広がった都市であり、1990年頃には、自分のゲイの友人の数人はすでに亡くなっており、ゲイの友人の半分(50%)はHIV+(ポジティブ)のキャリアーというような状況でした。

ATZなどの効果的な薬の使用は一般的になっていたものの、他のタイプのHIVウィルスにさらに感染することで重度のエイズになりやすいという説がありました。ロシアンルーレットの弾に当りたくなければ「セーフSEX」をすることは、まだ”当然”という時代でした。

しかし、ある程度治療方法というものが確立し、エイズを発症して命を落とすことが稀になってきて、感染者同志の接触によって悪化することはないと分かってくると「セーフSEX」というコンセプト自体が、HIVキャリアー間には意味がなってしまったのです。


2001年(ちょうど自分が日本に帰国した年)あたりから、コンドームなしの乱交パーティーのようなイベントが行われるようになってきた記憶があります。またインターネットの広がりにより、「アン・セーフSEX」を前提にしたポジティブ同志の出会いの場がネットで広がってい

きました。こうなってくると、あまりモテないから”まだ”HIV ネガティブ"で「セーフSEX」を要求することが興醒めさせるのではないかというムードさえ感じるようになってきました。

確かに、ポジティブの友人に言わせると「相手に一応合わせるけど、出来ればコンドームなしの方が良い」「ネガティブの人とのセックスは、感染させる可能性があるので気を使う」「ポジティブであることをいちいち”告白”しなければならないのは面倒」というのが正直な気持ちだそうです。


現在のニューヨークのようにゲイ人口の殆ど(?)がポジティブである環境になると、ポジティブであることが、ある「クラブ」に属しているようになっているような気がします。

その「クラブ」に一度入れば、感染の不安もなくコンドームなしでセックスが出来るし、絶対数の多いポジティブの人達との出会うチャンスが増えるのです。

いつの間にか、1970年代後半の”やり放題”のセックスライフが、ニューヨークのゲイのあいだではインターネットというツールによってしっかりと復活しているのでした。

これが「意識の進化」なのか・・・「再びの過ち」なのかは・・・自分には分かりません。


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2009/07/19

ニューヨークでみた展覧会~design for a living world~


エコロジーやフェアトレードなど「政治的に正しい選択」は、自分なりに心掛けています。

エコバックなどは、言われているほどの意味が果たしてあるのだろうか・・・という疑問があったりしますが、家電の買い替え時にはエコは意識していますし、わが家の車を買い替える時には最低でもハイブリッド、出来れば電気自動車にしようと思っています。

それは環境問題ということもありますが、経済的なモチベーションが大きくて、単に「エコのため」というだけではありません。フェアトレードにしても「フェアトレード」であることだけを理由に購入することはありません。

特にデザインに関しては「政治的に正しい」という要素というのは胡散臭いような気がして、ちょっと引いた目で眺めてしまいます。


クーパー・ヒューイット・ナショナルデザイン美術館(Cooper-Hewitt, National Design Museum )にて開催中の「design for a living world」は、世界各地の素材を、各界のデザイナーたちとプロジェクトを組んで、プロダクトを企画/生産した過程と商品を展示してます。それらはエコロジーでもあるし、フェアトレードでもあるし、デザイナーに新鮮な創作意欲を与える機会でもあったと思います。


アイダホ州のオーガニックウールにるハンドニットのラグ(クリティーナ・メインダートスマ)、アラスカ州のサーモンスキンのスパンコールを全面に縫い付けたドレス(アイザック・ミズラヒ)、ボリビアからのパナマ帽の素材を編んだカジュアルなバッグ(ケイト・スペード)、メキシコのチューインガムの原料を焼いた陶器(ヘラ・ホンジュリウス)、ミクロネシアのベジタブルアイボリーによるアクセサリー(テッド・ミューリング)などは完成度が高く、安易にエコロジーやフェアトレードを謳う意識は感じられませんでした。


ただ、それらの素材で作られる商品が今後たくさん出てくるのだろうか・・・というと、実際に商品化した際の価格にも、日常的に使うプロダクトとしても、今後の素材の流通に関しても、疑問ではありました。

その中で、象牙という素材のかわりという存在意味だけでなく、素材そのものの美しさと加工バリエーションの可能性を一番感じさせたのは「ベジタブルアイボリー(タグア)」でした。


design for a living world/2010年1月4日まで

Cooper-Hewitt, National Design Museum

2 East 91st Street(東91丁目、五番街の近く)


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2009/07/17

誰かっぽいハンドメイドの作家さん

ハンドメイドのクラフトなどをやっている人が「個展」をすることがブームらしく、都内の人気のある貸しギャラリーなどはスケジュールは来年まで埋まっていて、そう易々と個展ができるわけでないようであります。


ギャラリーの企画展にしろ、貸しギャラリーの個展にしろ、作家さんとまったく縁もゆかりもなにも関わらず訪ねるということは、それほどありません。

一週間弱の限られた期間のイベントなので、実際の知り合いだったり、友達に誘われて行ってみるということが殆どです。

自分が興味を持たない「個展」というのを目にする機会というのは、実際はなかったりします。


5年ほど前に、ウチの近所のバス通り沿いに5坪ほどの小さな貸しギャラリーがオープンしました。

非常に狭いこともあってギャラリー全体がショーウィンドウのような状態なので、展示されている作品は舗道からよく見えます。

当初は、時々開いている程度だったのですが、ここ1,2年は毎週入れ替わり立ち替わり「個展」が行われています。

ただし所詮は郊外住宅地ですので、雑誌に出てくるような有名な作家さんはおりません。


ここのギャラリーで扱われている作品というのは、基本的に作家さん自身で制作されている作品のようです。

着物リメイクのドレスやコート、癒し系の詩文の書、可愛いのフェルトの小物、不思議系のイラスト、ちょっと変な雰囲気のぬいぐるみ、などがあります。

良く解釈すれば、雑誌などで取り上げられている”今っぽい感性”の作風といえるかもしれませんが・・・「あの作家さんの?」とソックリな作風だったり、明らかに誰かの模倣している作品があるので、見ている側からするとビミョーな気分なのです。


クリエーションの基本は「模倣」にある場合もあるとは思いますし、好きな作家のスタイルを真似ていくのも自分らしさを模索するひとつの方法です。

技術的には模倣というのは最も有効な学びの手段だったりします。

趣味としてやることに強い作家性を求める必要もないとは思うのですが、個展を開いて作家っぽい価格で販売するのって・・・「どうなのだろう?」って気はします。


斬新で新しいデザインよりも、どこかでみたことあるスタイルの方が世間には受け入れられやすかったりするわけで、デザインビジネスの世界では、コピーというのは当たり前に起こっていることではあります。

ただ、個人のハンドメイドの作家さんまでもが、ビジネスのようなことをしなくても良いんじゃない?って、思ってしまうのでした・・・。


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2009/07/16

ニューヨークでみた展覧会~Object Factory : The Art of Industrial Ceramics~


「Museum of Arts and Design」で行われている「Object Factory : The Art of Industrial Ceramics」は、磁器メーカーとデザイナー/アーティストのコラボレーションによる作品の展示会です。

職人芸のノスタルジー的な”古き良き味わい”の再現(日本の伝統工芸などでありがちな?)ではなく、伝統的な技法と新しい技術を駆使して、大人っぽい遊びを感じさせる「オブジェ」としてのアーティスティックな作品が新鮮でした。


ポーランドのEdyta Cielochによる「Spanish Lace」と名付けられたポーランドの磁器メーカーのロココ調のリリーフのデザイン部分を残して切り抜いたティーセットは、本来の実用性を排除したコンセプチュアルな作品で、よりデコレーションの造形とオブジェとしての存在が際立っていました。

もう一人、ポーランドのMarek Ceculaによる「Beauty of Imperfection」というティーセットは、水圧によって、あえて穴を開けたり縁やハンドル部分を削ることで不完全な美を表現しているということですが、戦争や災害を生き残った遺品のような不気味な印象を与えます。

Vika Mitrichenkaによる、カラフルな磁器を”金継ぎ”のようなテクニックで歪に合わせたティーセットは「Grandmother's Treasures」と名付けられている通りノスタルジーではありながら、その脈略のない組み合わせ方が、何故かモダンさを感じさせる作品です。

白い陶器の器に規則的に丸い穴を開けて「ニードルポイント刺繍キット」にしてしまっている作品には、代表的な主婦のクラフトのパロディのようで、思わずニヤリとさせられました。


彫刻(ファインアート)でもなく、伝統工芸(クラフト)でもなく、プロダクトデザイン(大量生産の商品)でもない、このジャンルに個人的には魅かれてしまうのでした・・・。


Object Factory : The Art of Industrial Ceramics/2009年9月13日まで

Museum of Arts and Design

2 Columbus Circle(西59丁目、ブロードウェイと8番街の間)


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2009/07/13

「わたしがお店に入ると混む」という人

「わたしがお店に入ると混む!」という人って結構たくさんいます。

この世のオバサンと呼ばれている人の殆どがそう思っているような気もするし、自分もそう思っているオジサンであります。

みんながそう思っていたら、どこのお店もお客さんで混雑で景気だって良くなるはずですが・・・何故かそういうわけではありません。


自分が「わたしがお店に入ると混む!」と感じたのは、20歳前後だったような気がします。

その頃はアートスクールに通い始めた頃で、メイン州のポートランドという小さな地方都市に住んでいました。

おしゃれなカフェやお店などは数えるほどしかなくアジア系が殆どいない街だったということもあり、とにかく目立つ存在でした。自分がカフェに入ると必ずお客さんが並び出すし、お店でブラブラしていると店内が混雑することに気付き出したのです。


しかし、これは小さな街で外国人が珍しくて人が集まっているわけではありませんでした。

その頃、毎月のようにニューヨークまで遊びに行っていたのですが、外国人だらけのニューヨークでも同じような事が起こっていました。

そう意識すると、ブティック、ギャラリー、レストラン、カフェなど、どんなお店でも「わたしがお店に入ると混む!」ということが、次第に「確信」になっていたのでした。


逆に「わたしがお店に入ると客がいなくなる」・・・というのであれば不愉快であります。

お客を呼び込んでしまって困ることというのは、狭いお店だと少々窮屈になることぐらいです。

特殊能力というほどでもないけど、誰にも悪いことをしているわけではないんだから・・・「世の中にプラスになるパワーを持っているのかも!」って、自分の中だけでほくそ笑んでいました。


ある時、いつものように(!)混雑し始めたお店の中で「どうしてか知らないけど、僕がお店に入ると混んでくるんだよね~」って、思わず一緒にいた友人に白状したところ「実は、私もそうなの!ずっと、そう思っていたの!」と同感されてしまったのでした。

お客を呼ぶパワーのある二人が一緒にいるから、いつもよりもさらに混雑するのかも・・・なんて、その時は浅はかにも思ったりしていましたが、よ~く考えてみたら、誰もがそう感じることがあるという”だけ”の話だったのです。


「占いがよく当る!」というのも、当った占いだけを記憶していて、はずれた占いは忘れているだけということだったりします。

確かに自分がお店に入った時に他にお客さんがいない事っていうのはよくあることです。

そこにフツーにお客さんが勝手に入ってくる事もよくあるわけで、それは自分が先にお店にいたこととは全く関係ないことです。

でも、そういうことはそこそこの確率で起こり得ることで、その時には「やっぱり!」と確信してしまうわけです。

でも、特に混雑しなかった時って、何も思わずにお店を出ていっているだけなんですよね。


ただ単に「自意識・過剰」になっているだけ・・・ということなんでした。


でも、先日、夜中の2時近くに近所のコンビニ行ったら、住宅地だけあって誰一人お客がいなかったのですが、自分がレジを済ませる頃には、店内に5人ぐらいのお客さんいたのです。

分かってはいるけど「あぁ、やっぱり自分がお店に入ると混む!」と、心の中で小さく”ガッツポーズ”をしていたのでした・・・。


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2009/07/12

ニューヨークでみた展覧会~The Model as Muse : Embodying Fashion~

メトロポリタン美術館で行われるファッションに関する展覧会は、毎度ニューヨークを訪れるたびの楽しみのひとつです。


マーク・ジェコブスのスポンサーによる「The Model as Muse : Embodying Fashion」という、ファッションモデルのミューズ(理想の女性像)としての役割を、1940年代から1990年代までのファッション写真と服を展示した展覧会に行ってきました。


各年代10着程度の展示なので、時代の流れを把握出来るほどの点数はありませんが、その時代の有名な写真と、写真に写されている実物のドレスを一緒に見る機会というのは意外になかったことなので、興味深いところではありました。

ただ、時代のニュアンスを感じられない味気ないのっぺりとしたマネキンをすべての年代で使用していることと、殆どの服の生地の張りがなく精気を感じられない印象だったので、実際のドレスよりも写真に写っているドレスの方が「素敵」に見えました。


40年代にはチャールス・ジェイムス、50年代にはクリスチャン・ディオールとバレンシアガ(参考ドレスとしてジョン・ガリアーノによる2000年代のディオールも)、1960年代はクレージュなどと共に映画「ポリマグーお前は誰だ!」で登場したスチール板のドレス、70年代はホルストンとカルバン・クラインのジーンズというような展示です。

80年代は、自分が若かりし頃に購入していたアメリカ版の「ヴォーグ誌」に掲載された写真と実際のドレス(シャネル、ダナ・キャランなど)が陳列されており、当時興奮しながら雑誌を見ていた気持ちが甦りました。


90年代の中心は(マーク・ジェコブスのスポンサーということもあってか?)「グランジ・ルック」のみの展示でした。確かにマーク・ジェコブスがペリー・エリスの1993年春夏コレクションでに発表した「グランジ・ルック」は、その後のコーディネートに影響力のあった提案だったのかもしれませんが、90年代を「グランジ・ルック」に集約してしまうのは、かなり大雑把な時代考証の印象でした。

90年代に限らず、それぞれの年代を単純化して展示してしまうのは、ファションの歴史の流れに誤解を与える気がしました。


個人的には、最後の部屋に1970年代から80年代にニューヨークで活躍したデザイナーのジョージオ・ディ・サントアンジェロによるジャージードレスが多数展示されていたのが嬉しい驚きでしたが、展示に選ばれた服のバランスから考えると展覧会のテーマから外れた印象でした。


研究者の数が少ないからなのか・・・ファッションの時代検証というのは、かなりアバウトで許されてしまうところがあるような気がします。この展示会に限らず、キューレーターや展示会のスポンサーの意向により、時代検証の偏りのあるファションの展覧会があるのは残念なことではあります。


The Model as Muse : Embodying Fashion/2009年8月9日まで

Metropolitan Museum of Art、at The Tisch Galleries, 2nd Floor

1000 Fifth Avenue(東82丁目あたり)


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2009/07/11

ある時代の終わりとラブストーリー~「Valentino : the Last Emperor」~


それほど長くはないニューヨーク滞在期間(7日間)のあいだに映画を観るつもりはありませんでしたが、おそらく日本では劇場公開はしないであろう興味深い映画が、SOHO近くのAngelica(アンジェリカ・シアター)で上映されていたので観てきました。

Valentino : the Last Emperor/ヴァレンティノ:最後の皇帝」は、イタリアのファッションデザイナー、ヴァレンティノ・ガラヴァー二(Valemtino Garavani)の45周年イベントと彼の引退を追ったドキュメンタリー映画です。
日本では知名度があるデザイナーではあるものの、デザイナーラインは日本人が好む雰囲気ではなく(あらゆる意味で)リッチな洋服なので、同じプライスゾーンのシャネルやアルマーニほどポピュラーだという印象はありません。
どちらかというとライセンスの商品で目にするデザイナーの名前だったりします。

誤解がないように言わせてもらうのであれば・・・ヴァレンティノは革新的なファッションを提案したというよりも、社交界などのハイソサエティのレディーたちのライフスタイルに合わせた「ワードローブ」を提供してきたデザイナーだと思います。
ヴァレンティノは、その時々の流行を要素に取り入れながらも、ヴァレンティノの顧客層に向けて45年間ビジネスを続けてきたと言えるのかもしれません。

映画は、今まで殆ど明らかにされることのなかった、ヴァレンティノのビジネスパートナーであるジャンカルロ・ジアメッティ(Giancarlo Giammetti)とバレンティノの親密な関係を追いかけます。
ファッション誌の社交欄などを見たことある方なら、ヴァレンティノの側に付き添うハンサムな白髪の男性の存在を記憶しているかもしれません。
公に、ヴァレンティノ自身はジャンカルロとの恋人関係(約12年間続いたらしい)を認めることはありませんでしたが、この映画の冒頭で、彼らが出会った経緯も語られます。
他のファッションデザイナーの会社組織でもありがちなことですが、プレスオフィスにしてもスタジオにしても、バレンティノとジャンカルロのお気に入り(肉体関係にあったか、なかったかは別にして)を、社内にはべらかしていることは画面の端々から伺えます。

映画が進んでいくと、ヴァレンティノというデザイナーはジャンカルロというパートナーなしでは、これほど世界的なデザイナーにはならなかったのではないかと思うほど、ジャンカルロの存在というのは大きいというのが伝わってきました。
気難しいヴァレンティノとスタッフの間を取り持ち、バレンティノに対しては最大の理解者であり続ける姿には、献身的な妻のようであり、裏ですべてをコントロールする司令官のようでもありました。

この映画の見せ場は、外部に対しては影の存在であり続けたジャンカルロに、バレンティノが勲章の表彰を受けるスピーチで、心からの感謝と彼への愛情を涙ながらに伝えるシーンでしょう。
彼らの関係が公に出来なかった時代背景の哀しさ・・・そして、ゲイの男性がハイソサエティーのレディーたちを美しく着飾らせるというアイロニーと、ファッションが「夢」であった時代の終りを感じずにはいられませんでした。

そして何よりも・・・バレンティノとジャンカルロの(ある意味今でも続いている)秘められたラブストーリーに最も感銘を憶えたのでした。


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2009/07/10

ニューヨークでみた展覧会~FASHIONING FELT~


フェルトはプリミティブな素材でありながら、現在も新しいテクニックにより新鮮な創作意欲を刺激します。

自分自身もフェルトによる制作を試していますが、その手軽さと奥深さ、自由自在に立体や布のように加工出来る柔軟性に魅力を感じます。


クーパー・ヒューイット・ナショナルデザイン美術館(Cooper-Hewitt, National Design Museum )にて開催中の「Fashiong Felt/ファッショニング・フェルト」は、ハンドメイドフェルトから工業的なフェルトによる様々な作品を紹介しています。

タイトルにある「Fashioning」というのは「流行」ということではなく「形を作る」という意味です。


工業的なフェルトによる、インテリア素材、家具、布地というのは、現代的でクールな印象のプロダクトが多かったですが、カットアウトによるレースのようなパターンを施したり、小さなシェイプを切り抜いて表面デザインにしたりと、その使い方もバリエーションがあります。


一方、ハンドメイドのファルトは、その制作過程の柔軟性から、別の可能性を感じます。自分がフェルトによる服の制作にもっとも興味もあることもあって、Andrea Zittel(アンドレア・ジッテル)による、シームレス(縫い目なし)のドレスは「やられた!」という思いがしました。

シルクなどの薄手の生地をベースに、ウールを絡ませてフェルト化/収縮するというのが一般的なフェルトの服のテクニックなのですが、彼女はドレス全体まるごとフェルト化しているので彫刻のように立体感があるのです。

日常生活で着る服としては耐久性には欠けてしまうので、少々コンセプチュアルでありますが、ファッション(服)とアートの中間的な作品として刺激を受けました。


また、思いもしなかったフェルトの使い方として、Bright Daamen(ブライト・ダーマン)による、ビーズにウールを絡めてフェルト化したネックレスは興味深かったです。子供っぽくなりがちなフェルトのアクセサリーとは違う印象でした。


日本にいると、フェルトの作品のアイディアというのは出尽くした感がありました。

また、フェルトの作品とはこんな感じだという固定概念があって(職人的な上手下手は別にして)所謂はクラフトっぽい存在でしかないところに憤りを感じることがありました。

新鮮な素材へのアプローチに触れることは、自分自身の制作の直接のヒントというわけではありませんが、ちょっと力づけられる気持ちになります。


Fashioning Felt/2009年9月7日まで

Cooper-Hewitt, National Design Museum

2 East 91st Street(東91丁目、五番街の近く)


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2009/07/09

「めのおかし」というタイトルのわけ

数カ月前、ホームページ/ブログを始めるにあたり、まだ何も内容や方向性が決まらないうちから、タイトル”だけ”を考えて、いろんな妄想をして楽しんでいました。

最初は格好つけたいところもあって、何か意味のある英語のタイトルにしたいと思い、「Inspire/インスパイア」=「引き起こす、インスピレーションを与える」というお気に入りのキーワードにこだわっていました。
しかし、その言葉は、結構ネット上で使われていて「インスパイア・何とか」というのは、会社名やら個人のHPまで、かなり存在しているのでした。
一般的でない言葉との組み合わせで独自のタイトルを模索してみたのですが、音感も悪かったり、日本人には馴染のない言い回しで意味不明になったりで、結局、英語のタイトルにすることは挫折しました。

初めの計画では、最近ハマっている一眼レフのカメラで撮影した写真をアップしたり、個人的なプロジェクトの作品などを発表する場にしよう・・・と考えていたので、目で見てもらうことが中心のホームページ/ブログになるだろうと思っていました。
そこで「Eye Candy/アイ・キャンディー」という英語の言葉が浮かんだのです。本来はセクシーな男性グラビア(勿論、女性のグラビアでも)などで使われることが多い言葉ではあるのですが、それを「めのおかし/目のお菓子」と日本語に言い換えてみたところ、「目で見て嬉しくなるような」というニュアンスが感じられるような気がしたので「これだ!」と決めました。

しかし、実際にホームページ/ブログ開設準備を始めてみると・・・自分がナチュラルに継続的に出来ることって、写真を撮ることでも、絵を描くことでもなく、意外にも文章を書くことでした。
メールを書く習慣のおかげか、日本語とは20年以上のギャップがあったにも関わらず、日本語で書くことが楽しくなっていたのでありました。
写真などのビジュアルに頼らずに、言葉や文章で表現するということにもチャレンジしてみようという方向転換したのです。
そうして「めのおかし」というタイトルに関わらず、文章のみのブログになったのでした。

日本人の個人のブログは、写真と短いコメント程度の文章という形式が比較的多いように感じます。
ハッキリと自分の意見や見解を文章で言い切ってしまうよりも、写真だと見る側の感性の”のりしろ”で解釈をが出来るし、読み手の共感をある意味呼びやすいのかもしれません。
そこで、ブログとは別にスケッチや写真をアップする「きょうのおやつ」というのを始めることにしました。
ブログの内容と連動してるのか・・・と問われたら、そういうこともあるだろうし、まった無関係のこともあるかもしれません。
あえてコメントも書きませんので適当に解釈して下さい・・・というスタンスで、とりあえずやってみます。

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2009/07/08

眠れない時差ボケです・・・

昨晩、ニューヨークから帰ってきました。たびたび海外に行くというと「インターナショナル」なイメージだけど、基本的に旅行が好きではないので、飛行機での移動はニューヨークと東京の往復ばかり・・・感覚的には「ドメスティック」な旅であります。


何故、旅行が嫌いかというと、右も左も分からない知らない場所にいることの緊張感と不安が嫌いだからです。

旅行好きの母からは「知らない場所だから旅は楽しい」と、真っ当なことを言われます。

もうひとつの理由は(これは海外の旅行に限られるのですが)時差ボケが特にひどい体質だからかもしれません。


若いの時(30代まで)の時差ボケは、とにかく夜早く(夜9時から10時頃)眠くなってしまい、朝やたら早く(午前4時とか5時頃)目が覚めてしまう・・・というモノでした。

これはこれで辛くはありますが、健康的な生活とも言えるので、時差ボケをきっかけに規則的に早起きのクセをつけていたりして、それなりに良いこともありました。


しかし、40代をすぎた頃からでしょうか・・・「眠れない時差ボケ」になるようになってしまいました。

14時間の長いフライトの間は、グッスリ眠ることは出来ないので、日本に帰国した時には結構疲れています。

夜に帰宅して食事してお風呂に入って、気分的には寝る態勢なのですが、ベットに入ると眠れない・・・。

身体の芯は眠りに付きたいのに、妙に脳だけがハイテンションであるのです。

結局、身体はグッタリしたまま目が冴えていて、やっと朝方眠りにつけても浅い仮眠しか取れません。

昼間はゾンビのようにボーッとしながら起きていて、夜は夜でまた脳だけ起きてしまう。

その繰り返しで、最悪の場合、約一ヶ月ほど時差ボケの影響で、ちょっとした睡眠障害の状態になってしまいます。

「メラトニン」や軽い睡眠導入剤も試してみましたが、飲み慣れてしまったせいか、それほど効果を実感出来ません。


今夜もグッタリしながら眠れぬ夜を過ごすことになりそうです。


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2009/07/04

記念写真を撮りに美術館に行く?

今回のニューヨークでは、久々に美術館三昧の日々を送っているのですが、ニューヨークの美術館について、すっかり忘れてしまっていた、素敵なことがありました。

それは、膨大なパーマネントコレクションは、カメラでの撮影が「OK!」ということです。

一応はフラッシュなしでの・・・という条件は設けられてはいますが、名画の前で記念撮影が出来てしまうというのは、ちょっと心が弾みます。


メトロポリタン美術館のパーマネントコレクションには、古代から現代までの膨大な数の展示物があり、それぞれのセクションごとにひとつの博物館ができてしまうのではないかと思えるほど、充実しています。

また、MOMA(近代美術館)のパーマネントコレクションには、ピカソの部屋、マチスの部屋、セザンヌの部屋のような「ひと部屋、数百億円」という空間が続きます。美術の本で必ずアーティストの代表作として紹介されるような作品達が、同じ建物の中にあるというのも凄いことです。


ピカソの絵の前では福笑いのように顔を歪めてみたり、マチスのダンスの絵の前では手を広げて踊ってみたり、セザンヌの絵の前でリンゴのかざしてみたり・・・ジャクソン・ポラックのアクションペインティングの絵の前や、不条理なデュシャンのオブジェの前での記念撮影は、ちょっとクールな気がします。


日本の浮世絵を一番多くコレクションしているのがボストン美術館ですが、美術品というのは国の力によって集められるモノなのだとすると、ニューヨークのふたつの美術館のパーマネントコレクションの充実さは、アメリカの栄華の証でもあるのかもしれません。

知名度の高い美術品の数では日本の美術館は劣りますが、パーマネントコレクションについては撮影しても良いようにして欲しいものです。


勿体ぶって”阿修羅像”を拝ませて頂くのも、大変結構なことではあるのですが・・・


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2009/07/03

「悟りのスイッチ」が入いりました

電車や地下鉄などが、スケジュールどおりに運行して、お店やレストランでは(表面的には)人当たりが良くて、雑踏の混雑さえ、節度を保っている東京にいると、些細なことで、イライラしてしまうことが多いような気がします。

だいたいのことが、予定や予測どおりにことが運ぶので、少しでも思い通りにスムーズに進まないことに対して、過敏にストレスを必要以上に感じてしまうのです。


しかし、そんな自分でも、ニューヨークにいる時は、まるで「悟りのスイッチ」が入ったように、なぜか心穏やかでいられるように思えます。

それは、決してニューヨークが、何も問題なく気持ちよい街というのではなくて、不可解なことだったり、不愉快ことだったり、予測不能のことだったり、東京の基準ではストレスを感じることが、あまりにもあり過ぎるからなのです。


まず、時間の基準が、ゆるくなります。ニューヨークの親友の家がマンハッタンでも辺鄙(?)なミッドタウンのイーストリバーの近くにあるので、最寄りの地下鉄の駅がありません。

そこで、バスを利用することになるわけですが・・・このバスが結構”あて”になりません。

アベニュ−を横切るクロスタウンバスに乗ったら、渋滞に巻き込まれて1ブロック動くのに15分もかかってしまったりします。

地下鉄も時刻表があってないようなものだし、タクシーだって必要なときに限って掴まらなかったり。逆に時間に縛られずに行動している自分がいます。


また、どう扱われようとも、気持ちが寛容になります。

JFK空港での入国手続きや、タクシー待ち合わせ場所で家畜のように指示されることなんて、朝飯前。チャイニーズのテイクアウトや、オプションの多いファーストフードなどでは、下手すると怒られながら注文しているような感じです。

日本的な客扱いというのは。まずされません。

せめて、客としての最良のサービスを受けるように、的確で、チャーミングで、心の広い『扱いやすい客』を演じるだけです。

鼻っから期待や予測ができないってことになると、ある種の「あきらめ」の境地に入って、気持ちは「らくちん」になるようです。


もちろん、不愉快なことばかりというわけではありません。

お店やレストランで人間的な親切なサービスを受けたり、移動中に見知らぬ者同士の譲り合う優しい心に触れたり、出会った人の個性に触れて楽しい経験も多くあります。

それは「悟りのスイッチ」を入れたからこその、東京で感じられない「ご褒美」のように思えるのです。


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2009/07/01

「1Q84」もしくは「200Q」的な場所

サラッと流し読みするのではなく、じっくり読みたい小説などは、電車で移動中に読む方が好きです。

適度な振動が逆に集中できるのかもしれません。昨日、ニューヨークに数ヶ月ぶりに来たのですが、約12時間の直行便のフライトの間に、村上春樹の「1Q84」を読み終わりました。


ニューヨークで泊まるのは、いつもの親友の家。お互いの人生のアップ&ダウンを共有してきた仲で、会った瞬間、いつもと変わらない親友であるのです。

日本へ引っ越した際に、自分が使っていたたくさんの荷物を彼に押し付けて帰国したため、ニューヨークで彼の家に泊まると、古い自分の持ち物に囲まれての滞在となるのです。


大きなブラウン管テレビ、キッチンで使う鍋や電子レンジ、シャワーの後のバスタオル、寝ているシーツやまくら、懐かしい丸っこいIMac、パソコンテーブルやテレビ台、などなど・・・


それらのモノに囲まれていると、継続する時間軸の上に生きているのに、ずっとニューヨークで暮らしているような錯覚に陥ってしまうのです。

まるで、もうひとつの世界と人生が同じ時間の流れに存在しているかのように・・・。


そんなわけで、マンハッタンの摩天楼の隙間の夜の空を見上げて、ついつい「もうひとつの月」を探してしまうのです。


*注

「もうひとつの月」という意味が分からない方は、村上春樹の「1Q84」を読んでみてください・・・。


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